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Doctor医師紹介

院長挨拶Message

目黒外科 院長 齋藤陽
目黒外科 院長 齋藤さいとう あきら

目黒外科は、
下肢静脈瘤の治療に特化した専門クリニックです。

初めまして。齋藤陽(あきら)と申します。

私は大学病院や関連の総合病院で心臓や血管の病気に対する診療を27年行ってきました。下肢静脈瘤は命にかかわる病気ではありませんので、医師の間でも軽視され、多くの誤解をされている疾患です。しかし、世の中にはこの病気でお悩みの方が驚くほどいらっしゃいます。

「どこの病院に行けばよいのか分からなかった」「”病気のうちに入らないからストッキングでも履いておけばいい”と言われた」「”このまま放っておくと、足が腐って切断しなければならない”と言われた」このようなお話をたくさん聞いてきました。そしてこのたび、長年にわたる下肢静脈瘤の豊富な治療経験をもとに、下肢静脈瘤治療に特化した専門クリニックを開設いたしました。長年悩まされてきたつらい症状から解放された方の嬉しそうな笑顔と感謝のお言葉。それが私がこの仕事を続けてきた最大の理由です。

患者さんお一人おひとりの立場に立ち、お話をよく聞きます。私は常に誠実なドクターであることを誓います。

経歴

平成9年 日本大学医学部卒業
医師国家試験合格
日本大学医学部第二外科入局
平成11年 日本大学大学院入学
平成15年 日本大学大学院博士課程修了
平成16年 独立行政法人国立病院機構災害医療センター心臓血管外科へ出向
平成17年 みつわ台総合病院心臓血管外科へ出向
平成28年 東京ミッドタウンクリニック
平成29年 目黒外科開院 現在に至る

所属学会

日本外科学会
日本心臓血管外科学会
日本脈管学会
日本静脈学会

専門医資格

外科専門医
脈管専門医
身体障害者福祉法指定医
下肢静脈瘤に対する血管内焼灼術の実施基準による実施医、指導医

メディア掲載(テレビ出演)

 

下肢静脈瘤手術実績

Results

4225件

2017年6月から2024年1月まで

院長の生い立ちHistory

院長の生い立ち(昭和47年)

昭和47年私は昭和47年、神奈川県横浜市で生まれました。町工場を営む両親のもと、3人兄弟の真ん中で育ちました。幼いころは野球とサッカーに夢中な活発な子供でしたが、人を笑わせるのが好きで、授業中にふざけては先生に叱られ、しょっちゅう廊下に立たされていました。院長の生い立ち(昭和47年)

医師へのあこがれ

私が小学生のある日、祖父が突然病に倒れました。「急性大動脈解離」という病気です。1週間前に俳優の石原裕次郎さんが同じ病気で緊急手術をして連日テレビのニュースで報道されていましたので、子供心にとても重い病気だということは伝わりました。

病状を説明してくださったのは石原裕次郎さんの手術を担当した先生でした。先生から伝えられたことは「今すぐ手術をしなければ命は助からないが、手術をしても助かる確率は1%」という絶望的なものでした。大切な家族を失うかもしれない初めての経験。

子供の私にはどうすることもできません。「神様お願いします!僕はいい子になります。勉強もします。どうかおじいちゃんを助けてください!」ひたすら神様にお願いしました。
10時間以上に及ぶ大手術の末、祖父の命は助かりました。

「いつかこんな大人になりたい」
野球選手でもサッカー選手でもなく、大人になったら人の命を助ける外科医になりたいと思いました。

はじめての挫折

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
あれほど神様にお願いしたにもかかわらず、祖父が元気になると私はすっかり元のふざけてばかりの小学生に戻っていました。

2つ年上の兄が受験をして私立の中学校に入学しました。弟の私は何の考えもなしに、兄が受験して私立中学に入学したのだから自分も当然とばかりに同じく中学受験をしました。しかし、私は受験直前でもテレビゲームばかりやっていて、まじめに勉強していませんでした。その結果、かろうじて1校には合格しましたが、他の4校は不合格でした。それでも1校受かったのだから「めでたしめでたし」と思っていました。

小学校の卒業を間近に控えたある日、一緒に中学受験をしたクラスメートと些細なことで喧嘩をしてしまいました。その時彼から私の中学受験の結果を思い切り馬鹿にされ、親友だと思っていただけに非常にショックを受けました。

中学に入学してからの私は180度人間が変わり、猛勉強をするようになりました。実際、高校を卒業するまでの6年間、ほぼ毎日夜中3時まで勉強を続けました。

下肢静脈瘤との出会い

医学部を卒業し、国家試験に合格した私は祖父の命を救ってくれた先生と同じ心臓血管外科の道に進みました。外科の世界でも花形と言える心臓外科。命に直結する心臓の手術は大きな責任と緊張が伴いますが、とてもやりがいがあります。そんな中、外科の研修医が初めて執刀させてもらえる手術は「アッペ(急性虫垂炎)」「ヘモ(痔)」「バリックス(下肢静脈瘤)」の3つでした。
下肢静脈瘤は命にはかかわらない病気なので、医師の間でも軽んじられる風潮にありました。

しかし、下肢静脈瘤は治療をすると長年悩まされていた症状が治るため、意外にも患者さんがとても喜んでくれます。命に関わる、関わらないに関係なく、人から喜ばれるということは素直にうれしいものです。

それに下肢静脈瘤といっても症状や形は十人十色。お一人お一人の悩みも異なります。患者さんは口々におっしゃいます。「かかりつけの先生に聞いても『下肢静脈瘤なんて、そんなものは病気のうちに入らない』『それは年のせい』『弾性ストッキングでも履いておけばよい』と取り合ってもらえなかった」
たかが静脈瘤。されど静脈瘤。私は下肢静脈瘤の奥深さに魅了され、いつしかライフワークとなりました。

目黒外科開業

院長の生い立ち(目黒外科開業)下肢静脈瘤の手術は当時は入院が必要でした。それゆえ下肢静脈瘤の専門家として生きていくと決めた私は病院で定年まで勤めたいと考えていました。しかし、医療技術の進歩により下肢静脈瘤の治療は病院での入院治療からクリニックでの日帰り治療へと移り変わっていきました。

そこで、これまでに培った経験をもとに、下肢静脈瘤で悩んでいらっしゃる人々のお役に立ちたいと考え、下肢静脈瘤治療の特化した専門クリニック「目黒外科」を開業しました。「ここに来て本当によかった」「他の人にも教えてあげたい」そう思っていただけたらこんなに嬉しい事はありません。

私は患者さんお一人おひとりの立場に立ち、お話をしっかり聞きます。私は常に誠実なドクターであることを誓います。院長の生い立ち(目黒外科開業)

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